大根やぐらについて

 

 宮崎県の大根やぐらは田野町、清武町に多く見られ、その他では高岡町、新富町、木花(郡司分)地区でも見ることができる冬の風物詩です。一本物のたくあんなどお漬物用の干し大根を作るために欠かせないもので、高さ約6メートル、幅約6メートル、長さが20~150mの巨大なやぐらです。

 大根やぐらの材料は、主に杉丸太と竹で、専用のバンドで固定して組み上げています。組み立ては毎年11月頃に行い、大根の収穫が始まる12月初旬頃から干し始め、2月下旬頃まで続けられ、最後の大根が干し終わると解体されます。秋冬に使用された大根畑は春夏はタバコの葉や里芋、甘藷(かんしょ)などが作られます。

大根やぐら

撮影 デジタルアートスタジオツジ

 

田野・清武地域の「干し大根」の歴史について

 宮崎市(田野町、清武町を中心とする地域)では、和の初期から戦後の一時期まで千切り大根を中心とする産地として発展してきました。

 昭和35年頃から鹿児島県のたくあん業者が大根栽培の適地として着目し、農家にたくあん用生大根を栽培させはじめました。(その当時、千切り大根栽培からたくあん用生大根栽培にかわっても、農家の手取りは、あまり増えなかった。)
鹿児島県のたくあん業者からの委託ではなく、直接農家がたくあん用生大根を栽培し、干し始めた。なかでも、田野町(七野・片井野・楠原・屋敷地区)の農家が率先して、干し大根を栽培し鹿児島の漬物業者に出荷する形態をとるようになりました。

 鹿児島県の漬物業者の製造工場までは、農家が直接もっていく方式を採用していたが、コスト削減と、運送等の労力的な面から、田野町内にたくあん工場建設の機運が高まり、昭和41年に道本漬物が、また、昭和48年にJA宮崎中央(当時、田野町農協)のたくあん工場が完成しました。JAがたくあん工場を建設したことにより、干し大根の価格が高値で安定(70円/kg→200円/kg)するようになりました。


田野・清武地域日本農業遺産推進協議会公式HPより引用

大根やぐら

撮影 デジタルアートスタジオツジ

 

田野・清武地域の「大根やぐら」の歴史について

大根やぐらのはじまりは昭和35年代と言われており、その当時は杉などの木材を使用していた。昭和38年頃から現在使われている竹が主流になってきた。(その理由は木材に比べ軽量で安価)元々、鹿児島県の大根やぐらを真似て建てられたと言われており、地域に合わせて改良したのが、現在の大根やぐらの形だと言われている。
鹿児島の一部地域の大根やぐらは、片側だけしか大根を掛けないが、宮崎市では、やぐらの両面に大根を掛けている。これは、宮崎(わにつかおろし)と鹿児島の気候(海からの風が中心)、風土などの違いにより、そのようになっていると思われる。
当初の大根やぐらは、当初5~6段の小さなやぐらでしたが、大根の生産量の増加を受け、高さや幅など、徐々に大きくなって現在に至る。
やぐらの大きさは幅6m、高さ6mが標準的で、長さは最大で100mを超えるものもる。
(標準は約50mで、30a程度が干せる)(25間×2m/1間、10a分約8間)
竹の組み方にも工夫があり、ただ単に三角形に組むのではなく、やぐらの外側にも竹を組み、内側の竹と外側の竹の間にブルーシートをはさみ、ワイヤーと滑車をつかって、軽トラックなどで、引っ張る方式、ブルーシートが一斉にやぐら全体を覆うように作られている。
降雨の時と気温が0度になるような時にやぐらをブルーシートで覆う。(雨が当たると菌が発生し大根が変色するため)
気温が0度を下回る時は、やぐらの中でストーブなどの暖房を焚いて干し大根が凍るのを防ぐ。【大根が凍ると、品質の低下を招く。】
高さ6m×幅6m×長さ50mのやぐらで、干し大根が約30a分の大根が干せる。

 

田野・清武地域日本農業遺産推進協議会公式HPより引用

撮影 デジタルアートスタジオツジ

 

昭和54年頃の田野町の大根やぐら風景(セスナ機による空撮)

この頃からすでに、9段~10段ほどあることから大きさは現在のものとほぼ同じぐらいと推測されます。

昔の大根やぐら

写真提供 道本食品株式会社


平成6年頃の田野町の大根やぐら

この頃にはブルーシートを滑車を使って引き上げる仕組みが組み込まれています。

昔の大根やぐら

写真提供 道本食品株式会社


現在の田野町の大根やぐら

現在の大根やぐらはより作業効率が上がるように全長の長いものが多いようです。

大根やぐら

撮影 デジタルアートスタジオツジ